【ブルワー魂】柿田川ブリューイング 片岡哲也
Kakitagawa Brewing

ビール王国34号から転載  連載ブルワー魂
文:並河真吾 写真:津久井耀平

沼津クラフトを飲むとほっとする
そう言って貰えるような
穏やかな深い味わいを追求しています

「舌や鼻の感覚が鈍らないよう、風味の強いクラフトビールばかりを飲み続けることは避けています」と片岡さん。またブルワリー内では異なる作業を平行して進めて行かねばならないケースが多いため、ビールが発酵する音や設備の音等の変化にいつも耳を傾けているという。写真は糖化が順調に進んでいるかを確認しているところ

迷いなきブルワー

「僕のビール造りで絶対に欠かせないモルトは、ワイヤーマンのカラアロマです。思い通りの色や香りを出すことができ、欲しい甘味やボディも得られるので、グラデーションのある深い味わいに仕上げられるのです」
「常備しているホップは20~25種です。次々に新種のホップが世に出てきますが、使ってみたいとは思いません。OEM で使用するホップの指定がない限り、今あるものですべて事足ります。組み合わせや使い方で出したい香りや苦味を狙い通り問題なく出せるので」
「工場の規模や醸造量の拡大はまったく目標にしていません。一回の仕込みで400~600リットル醸造できる現在のキャパシティがベストです。在庫を恐れ、造りたいビールより売れるビールを造らなければならない――。そのような状況に陥りたくないのです」
「ヘイジーIPAはご依頼がない限り造りません。流行りのビールづくりはブルワーとしてそそられません。高度な醸造技術を求められるラガーや濃色系のビールの方がブルワーの力量がシビアに透けて見えるので面白いです」
 何を尋ねても淀みのない率直な語り口で、即座に明快な答えが返ってくる。
「沼津クラフト」を手掛ける「柿田川ブリューイング」のオーナーブルワーである片岡哲也さんの発する言葉には、まわりくどさや曖昧さが一切なかった。
 つまり、ブルワーとして揺るぎない信念があり迷いがないのだ。

柿田川ブリューイングのフラッグシップ「沼津クラフト マージ―サイドESB」。ビール名は片岡さんが好きなプレミアリーグで活躍した元サッカー選手スティーヴン・ジェラードの出身地マージーサイド州から因んだという。「僕の大好きなイギリス発祥のビアスタイルだけに、思い入れたっぷりの名前にしたかったのです」

クラシックなビールが好き 

味わいの追求に終わりはない。常に微調整を繰り返しながら、さらなるレベルアップに努めている――。
 これまで多くのブルワーの口から耳にしてきた敬意を払わずにはいられない言葉だ。
 ブルワリー内のテイスティングルームでフラッグシップ「マージ―サイドESB」を注いでくださる片岡さんに質問を続けた。「このビールも微調整を繰り返していますか?」
「いいえ、沼津クラフトの定番銘柄は自分の中で完全に仕上がっていますので、その必要はありません」
 ビールを手掛ける際、「こうしたい」という色や香りや味わいなどが明確にある。それを実現するために何をしなければならないのかを逆算し、実践する。自分がブレなければ、完成後にそれ以上触る必要はないと片岡さん。
「マージ―サイドESB」に口をつけてみる。 穏やかな甘味と苦味が見事にバランスしている。いつまでも飲んでいたくなる奥行きのあるきれいな味わいにうっとりした。
「ホップに頼り過ぎている流行りのビールには魅力を感じません。ビールのメインの原料はあくまでもモルト、ホップ、酵母。それらをバランスよく活かした、クラシックなビール造りを大切にしています」

造り手の顔が分かる自分たちらしいビール造りを大切にしていると片岡さん

ビールは人生を豊かにしてくれる

シェイクスピアやアガサ・クリスティなどイギリ__ス文学を愛する父親が、いっとき仕事を離れ、ロンドンに長期滞在したことがある。片岡さんが高校生の時だ。
 振り返ればそれがすべてのはじまりだった。当時サッカーに夢中だった片岡さんはプレミアリーグ(イングランドのプロサッカー1部リーグ)を観るチャンスだと春休みに父親を追いかけ渡英する。
 その体験が専門学校時代に語学留学するきっかけになった。
「一年間住みましたが、特にパブで垣間見るイギリス人の価値観や人生観に魅了されました。同じ時間を共有し、語り合うことを心から楽しみ、とても幸せそうにしている。極端な話、お金なんかそれほどなくても人生を楽しむ術を知っているというか――。ただしそこには絶対に欠かせないものがあります。それがビールをはじめとする酒です」
 語学学校やパブではチェコ人やドイツ人をはじめヨーロッパ各地からやってきた留学生と友人になった。彼らはよく自国のビールについて語ってくれた。
「留学中にその友人たちを訪ねる形で、オランダやベルギー、フランス、ドイツ、オーストリア、チェコ、スイスなどを巡り、国ごとに特徴の異なる様々なビールを味わったことは何物にも代えがたい財産です」
 ヨーロッパでの文化体験によって、「ビールは人生を豊かにしてくれる」と確信した片岡さんは、留学先のイギリスで将来の道を決めた。「必ずビール職人になろう」と。

ブルワリー内にあるテイスティングルーム。10タップが常設されており、常に沼津クラフトの新鮮なビールを楽しめる
醸造設備は「ポートランド ケトル ワークス社」製。アメリカ オレゴン州のポートランドまで足を運び、自らの目で性能を確認した上で導入を決定した。「人任せにして、後からあそこに不具合があって不満といったことを言いたくなかったのです。誰がブルワリーを訪ねてきても胸を張って説明できる醸造設備を使っています」

沼津に骨を埋めたい

 日本のクラフトビアシーンを牽引するブルワリーのひとつ、「ベアードブルーイング」でキャリアをスタートさせたのは2007年。
 沼津にやってきた時(ベアードブルーイングの本拠地はまだ現在の修善寺ではなく沼津だった)、初めて味わう感覚があったという。
「この地で骨を埋めたいと思ったのです。豊かな自然、穏やかな気候、おいしい水、のんびりとした優しい人々が、そのような気持ちにさせたのに違いありません」
 自らを頑固職人と呼ぶ、日本の美意識のひとつ「わびさび」にも理解の深いオーナーブルワー、ブライアン・ベアードの元でおよそ9年の間研鑽を積み、醸造技術を身につけた。常に意識していたのはブライアンのイメージを細かなニュアンスで感じ取ること。
 そうすればレシピの意図が分かり、仕上がりの精度が上がる。1000回以上ビールを手掛けるうち、いつの間にか思い通りの味を自在に出せるようになっていた。
「ブライアンの他にも、当時の上司だったクリスプール(現潮風ブルーラボ)からはホームブルワー出身ならではの斬新なアイデア(100%小麦でヴァイツェンを造ったらどうなるか等)を、ドイツ人ブラウマイスターのダニエルからは進化を続ける設備やビール造りのあれこれ(ドイツでは今、煮沸時間を大幅に短縮できるようになっている等)を学ばせて貰いました。つまりアメリカとドイツのノウハウに僕の考えや経験、好みを組み合わせて造っているのが沼津クラフトです」

醸造設備は「ポートランド ケトル ワークス社」製。アメリカ オレゴン州のポートランドまで足を運び、自らの目で性能を確認した上で導入を決定した。「人任せにして、後からあそこに不具合があって不満といったことを言いたくなかったのです。誰がブルワリーを訪ねてきても胸を張って説明できる醸造設備を使っています」

ビールの醸造技術を活かして

開業する際、なぜ自社ビールを「沼津クラフト」と名付けたか。それはシンプルに沼津という街に深く根付き、少しでも地域活性化に貢献できるブランドにしたかったからだ。
 片岡さんは秋田県出身だが、沼津にも実の息子のように大切にしてくれる人たちや、熱心に応援し続けてくれる人たちがたくさんいる。自分が造りたいビールによって商売が成り立ち、目が回るほどは忙し過ぎず、その好きな仲間たちとビールを楽しむ時間を確保できれば、自分としてはもうそれ以上に望むものはないと笑う。
 現在、ブルワリーから徒歩1分の場所に、蒸留所を建設しようしているのも、地元の農産物をもっと活用できる機会を増やすためだ。
「ビールの醸造技術を効果的に活かすことで、地元のジャガイモからおいしいウォッカを造ることができます。簡易的な設備で試してみましたが、酵母の働きやすい環境を整え、丁寧な発酵温度の管理等を行うと味わいが劇的によくなりました。ここに地元産のレモンを搾ってサワーにすれば喜んでくださる方も多いのではないかと考えています」
 2021年からは「静岡クラフトビール協同組合」を設立し(片岡さんが代表理事)、静岡県のブルワリーの魅力を県内外へ発信する活動にも注力し始めている。
「沼津、そして静岡にクラフトビール文化がしっかりと根付き、沼津クラフトが地域の酒として長く愛され続けたら、これほど嬉しいことはないと思うのです」

建設中の蒸留所でのウォッカづくりは、この「三島馬鈴薯ホワイトエール」を手掛けた経験値も活きてくるはずと片岡さん
片岡さんと醸造スタッフの曽根田幸司さんと尾崎直弥さん。静岡のクラフトビアシーンを盛り上げていこうと心をひとつにしている