【ブルワー魂】ナギサビール 飯村一真
Nagisa Beer
ビール王国37号より転載
連載企画 ブルワー魂
文:並河真吾 写真:津久井耀平
心から魅せられたクラフトビールを
今、自分が手掛けられていることに
喜びと幸せを感じています
麦汁の比重を計測する飯村さん。「毎仕込み、醸造方法を微調整しているため、変化を正確に把握できるよう努めています。あとは何よりもテイスティング能力が重要だと考えています。ビールはどういった成分で構成されているかの知識を蓄えつつ、様々なビールの味わいに触れ、『知識を舌で認識する』ことを大切にしています」
仕込み前日の流儀
トラックのハンドルを握る。
目指すのは、世界遺産に登録された熊野古道のひとつ、大辺路街道の富田坂入口より2kmほど奥へ入った高瀬川源流。
自噴井戸から湧き出る地元の名水「富田の水」を3トンほど汲みに行くのだ。
週に2度、日曜と木曜に行っているルーティンワーク。その道中で次の日の仕込みに向け気持ちを高めていくのが、「ナギサビール」醸造部の中心人物、飯村一真さんの流儀だ。
ブルワリーに戻ると富田の水を沸かし70度の温水(仕込み水)をつくる。手掛けるビールのレシピについて社長の眞鍋和矢さん(ナギサビールの生みの親)と細部まで詰める。
原料や設備に問題がないかを確認する。
「仕込み前日をどう過ごすかを、とても大切に考えています」と飯村さん。
質の高いビールを安定してリリースしていくためには、常に万全の体制で醸造に臨む必要がある。
「万一何らかのトラブルがあったとしても、前日であれば対処できます」
あらゆるケースを想定し、備える。準備を怠りバタバタと慌てるブルワーに、よいビールを造れるはずがないとの気持ちがある。
「仕込み当日は予定通り淡々と、静かに作業が進んでいくのが理想です」
心の決めたままに
どこか音楽に似ている――。
人の心を魅了し、時に熱狂させ、時に誰かの人生を変えてしまう力を持つ――。
クラフトビールの魅力について、飯村さんの言葉には実感がこもっていた。
大学では法学を専攻し、卒業後は流通業界に就職した。強く希望した進路ではなかった。やりたいことが見つかっておらず、流れに身を任せていたと当時を振り返る。
転機は、クラフトビールとの出合いだった。
「和歌山県白浜町出身の友人が、『地元の酒だ』とナギサビールを味わわせてくれたのです。フラッグシップのペールエールでした」
衝撃的だった。
元々ビールは好きだったが、ため息が出るほど感動したのは初めてだった。
なんてきれいでまろやかな味わいなのか。
自分もこんなビールが造れたら、どれほど素晴らしいだろう――。
挑戦してみたい、本気で取り組んでみたいとの気持ちが自然に溢れ出た。ナギサビールにコンタクトすると受け入れてくれるという。数年務めた職を辞し、生まれ育った京都を離れることにした。不安や迷いがなかったわけではない。けれどもブルワーを目指すこと以外、もはや考えられなかった。この道を行こう、心の決めたままに。
ブルワーとしての資質
「若く、経験の浅い飯村を醸造部の中心に据えることは、最初は心配でした。何しろ社長である眞鍋のビール造りに掛ける情熱は尋常ではなく、だからこそ人一倍厳しいところがあります。私なんて何度雷を落とされたことか――」
以前は醸造部に籍を置き、現在は広報・窓口を務める西垣元雄さんが、後輩に優しい視線を向ける。
「それが今では眞鍋から全幅の信頼を寄せられています。頼もしいです」
飯村さんが醸造部に異動したのは4年前。それまでの2年間は直営レストラン(令和4年閉店)と工場併設のタップルームに配属されていた。
早く醸造に関わりたいとの思いもあったが、日々訪問客のナギサビールに対する生の声を聞けた経験は、ブルワーになってから貴重な財産になっているという。
一つひとつの作業に前向きに取り組むことができ、様々な気づきを心に留め、意味を見出すことができる。
「とにかく豆で真面目で勉強家」とは西垣さんの飯村さん評。
眞鍋さんも誠実な仕事ぶりに、ブルワーとしての資質を感じたのに違いない。だからこそ醸造の一切を任せられる中心人物として抜擢したのだ。
まだまだ、まだまだ
何粒かのモルトを手のひらに乗せ、目で見、香りを嗅ぎ、味わいを確かめる。
いつもと異なることはないか――。
滅多にあることではないが、劣化があれば当然差し替え使用しない。悪いことばかりではなく、たとえばいつもより「よい香り」を感じた時なども、気づきをメモしておく。後でその香りが仕上がりにどう影響したかを確認するためだ。
時折、時計に目を走らせる。発酵中の麦汁の比重を計測する時間が迫っているという。
「基本どの仕込みでも同じ時間、同じ間隔で計測しています。定点を設けると過去の仕込みと比較しやすく、また差異を追い続けることで、その時その時の発酵の具合が順調かどうかを見極められるようになるのです」
ふたつの容器を使い、麦汁を何度も交互に移し替える。脱気と呼ばれる炭酸ガスを抜く作業で、計測する数値がより正確になる。
レシピや記録シートを見せてくれる。空いたスペースには気づきがびっしりと赤ペンで記されていた。
取材が進むほどに、「現状に甘んじない真摯な姿勢」が伝わってくる。
ふと作業の手を止め、口を開く。
「他のブルワリーさんはもっと突き詰めて丁寧なビール造りを行っているはずです。私などまだまだ。さらに精進していかねばなりません」
日々の積み重ねが結実
ビアコンテストとは無縁。
1996年の創業以来、ナギサビールはそう考え、ほとんど出品してこなかった。
「ビアスタイルガイドライン」に忠実に沿うことよりも、創意工夫を重ね、自分たちの理想とする味わいの追求に重きをおいていたため、出品しても評価されることはないと予測していたからだ。
そんな中、日本最大級のビアコンテスト「インターナショナル・ビアカップ2020」に出品してみようとの話が社内で出たのは、飯村さんが地道に続ける醸造のブラッシュアップが、確実に成果に結びついていると皆が実感したためだった。
さらに味わい深く、さらに雑味の少ないクリーンな味わいに――。自身も手応えはあった。が、あくまでも腕試しのつもりだった。
それがまさか、「アメリカンウィート」が銅賞を、「みかんエール」が銀賞を受賞するとは。
「嬉しかったです。本当に。日々積み重ねていることは間違いではないのだと、自信にもつながりました」
そして、新たな目標へ
「ビール造りは今も変わらず緊張します」
自分が心を奪われたナギサビールの味わいや品質を、自分の手で落とすわけにはいかない。毎回全身全霊で取り組んでいる理由だ。
一方で、経験を積み、結果を出せたことでビール造りを心から楽しめるようになったのも事実。飯村さんが教えてくれる。
「小ロット対応の醸造設備の導入を進めています。もうしばらく先になりそうですが、稼働が待ち遠しいです」
一仕込み200Lという小規模での醸造を行えるようになれば、思い切ったチャレンジにも積極的に取り組めるようになる。社長や先輩が造り上げた味わいをしっかりと守りながら、自分らしいビールも生み出すことが次の目標だ。
「構想は既にあります」と目を輝かせる。飯村さんの活躍を応援したい。