【ブルワー魂】壽酒造 國乃長ビール 富田祐介
Kuninocho Beer
ビール王国39号より転載
連載企画 ブルワー魂
文:並河真吾 写真:津久井耀平
日本酒酵母を使った醸造を研究し続け、
独自性のある、日本ならではの
クラフトビールを提案していきたいです
料理に寄り添い、華を添えるビール造り
ぎゅっ。頭に手拭いを巻くと、表情に気合が入った。慣れた身のこなしで仕込みタンクの中に体を滑り込ませる。
CIP(設備内部を洗浄剤などで自動的に洗浄するシステム)も活用するが、「それだけでは不十分な可能性がある」との前提に立つ。
目視し、指先で触れ、一切の汚れを見落とさず、内部をとことん磨き抜く。
「機械任せにはしません。仕込み前日は必ず丸一日を掛けて、当日もこまめに洗浄を行いながら作業一つひとつを進めていきます」
「國乃長ビール」を手掛ける「壽酒造」の製造部長・富田祐介さんが長年変わらず徹底し続けている流儀だ。
高い天井付近の柱から吊るした、麦汁を移動させる際に使うホースを指さし、教えてくれる。「洗浄後にくるくると巻いて保管することはしません。下になった部分に僅かでも水が溜まり、雑菌繁殖の温床になることを避けるためです」
壽酒造が目指しているのは、料理に心地よく寄り添い、華を添える、繊細な味わいを持つビール造り。「衛生管理はしていて当たり前。それをどれくらい高いレベルで実践できているかで、味わいや品質に天地の差が生まれることを肝に銘じています」
ドイツ南部の小さな村で
ビールに魅せられたのは1990年代前半、ドイツ南部での体験がきっかけだった。当時オーラルケア用品を扱う企業の生産技術部門で研究員として働いていた富田さんは、海外出張に出ることが多かった。
「現地のスタッフが小さなレストランに連れて行ってくれたのですが、そこで初めて味わったヴァイツェンに度肝を抜かれました。白濁した外観に驚き、飲むと風味豊かで震えるほどにおいしい。隣の席では家族が楽しそうにテーブルを囲み、ご年配のお婆さんまでも普通にヴァイツェングラスを傾けている。自分の知らないビール文化が根付いており、皆が本当に幸せそうな顔をしている。その時の素敵な光景は今も目に焼き付いています」
興奮冷めやらぬドイツでの体験からほどなくして、日本が地ビールを解禁した(1994年)。それを知った富田さんは居ても立っても居られなくなった。ビールを造ってみたいとの思いがどんどん膨らんでいく。
「本当に悩みました。責任ある仕事を任され、忙しくも充実した日々を過ごしていましたし、30代後半という年齢で新たな世界に飛び込むことがはたして正解なのかと」
夢は微生物研究とものづくり
大学時代、微生物学の研究室に在籍し、ミクロの世界の神秘に魅了された。「たとえば大腸菌の遺伝子を組み換えると、それまで対応できなかった抗生物質に対応できるようになる。人間の手でそのようなことが可能なのかと驚愕し、研究にのめり込みました」
自然と将来の夢は、「微生物と昔から好きだったものづくりに関わること」になった。
あれから十数年、夢の半分は叶った。後の半分を自分はどうしたいのか――。ドイツでの感動が背中を押す。
人生は一度きり。後悔したくない。「酵母でビールを造り、飲む人に感動を与えたい――」
2001年、大阪で最も早く地ビール造りを始めた「壽酒造」への転職を決めた。
「初めてビールを手掛けた時の喜びはひとしおでした。長年の夢が叶った訳ですから。ただ一方では大きなショックを受けました。ドイツで出合ったビールと、味わいに雲泥の差があったからです」
1822年に創業した「壽酒造」は大阪北部に位置する「摂津富田郷」と呼ばれる場所にある。「ミネラルが豊富で醸造に適した阿武山山系の伏流水を仕込み水に使えることから、江戸時代は20以上の酒蔵が軒を並べる銘醸地として広く知られていました」と富田さん
ブリューパブ テタールヴァレの松尾さんと、ウッドミルブルワリーの辻本さんは、壽酒造で醸造を学ばれたのだとか。富田さんはおふたりの活躍が本当に嬉しいそうです。
暗中模索、そして
「國乃長ビール」の定番銘柄「蔵ケルシュ」と「蔵アンバー」はキャラクターの強いビールではない。
ゆえに異味異臭を感知しやすく、ごまかしが効かないと富田さん。技術的にハードルが高く、発酵管理を適切に行って酵母に不要な成分や香りを造らせないことに加え、設備や充填資材の衛生管理に万全を期し、雑菌や汚れの悪影響を排除する必要がある。
「今でこそ『飲みやすい、きれいな味わい』との評価を頂戴できるようになりましたが、何年も暗中模索が続きました。理想通りにいかない原因を見つけ出しては、ひとつずつ潰していくという――。だから『Japan GreatBeer Awards(日本最大級のビールコンテスト) 2021』で、蔵ケルシュが金賞受賞した時は、感慨深いものがありました」
酒蔵だからこその新しい味わいを
2008年に手掛けた忘れられないビール(発泡酒)がある。スタウトをベースに日本酒とシナモン、自家製オレンジピールで仕上げた「シンナムブラック」だ。
初めてレシピづくりから取り組んだ新作は、いきなり「International Beer Cup(同じく日本最大級のビールコンテスト)」で金賞を受賞した。
「当時としてはかなり斬新な造り方だったと思います。それを面白がり、認め、評価してくれた業界の懐の深さが嬉しくて、ますますビール造りに夢中になっていきました」
そしてこの時感じた日本酒を使ったビール造りへの手応えは、やがて新たなフラッグシップの誕生へとつながっていく。
江戸時代から日本酒を造り続ける酒蔵だからこその、杜氏として日本酒も手掛ける自分だからこその味わいを届けたい。キャリアを重ねるほどにその気持ちは強くなっていた。
酒を原料に酒を仕込む日本酒『貴醸酒』に着想を得、ゴールデンエールをベースにした「貴醸GOLD」の開発は、自分の全てを捧げるに値する大仕事だと情熱を燃やした。
しかし、完成に至るまでの道のりは険しかった。
職人魂が宿る、志あるビール
9割以上が返品――。
貴醸GOLD の大きな特徴は、原料由来の甘さを残していることにある。そこに落と
し穴があった。
リリースして間もなく、液中に残した糖分が再発酵してしまい、ボトルや樽内の圧力が上がって「泡しか出ない」と飲食店からクレームが多発したのだ。
「全てはうまく発酵を止められなかった自分の技術の未熟さが原因でした。前代未聞の失敗が続き、正直、このビールの完成は諦めようと心は折れかけていました」
そんな中、たったひとり店舗での提供を続けてくれた人がいた。「横浜チアーズ」の堀川秀樹さんだ。長い時間を掛けて注ぐことで何とか提供できる状態にまで持っていき、客を待たせている間は、ずっと貴醸GOLDの面白さについて説明してくれていたのだ。
お詫びの電話を掛けると堀川さんは優しい声で言った。
「新しいことに挑戦しているのだから、いろいろあります。私はこんな志のあるビールをお客様に提供したい。おいしいから今後も造り続けてください」
富田さんは感極まり、涙を堪えられなかった。そして、必ず完成させると覚悟を決めた。
日本独自のビール造りに貢献したい
貴醸GOLD がビールコンテストで受賞し、ビアフェスでの人気投票で1位を獲得し、大阪・愛知の知事賞などにも輝き、ビール業界を席巻したのは2011年のこと。それ以降も改良を重ね、優秀な成績を収め続けいる。富田さんは言う。「応援して下さる方々に感謝してもし切れません」
今後も日本酒酵母を活かした日本的な独創性のある味わいを追究し、「お客様の選択肢を増やしていきたいと考えています。それが日本の、世界のビール文化の発展に貢献することだと信じています」。