【追悼】青木辰男様のご逝去を悼んで
「その最高のクラフトビールに対する志を繋いでいきます」
日本のクラフトビール文化を切り拓き、長年にわたりその発展に尽力された「麦酒倶楽部ポパイ」創業者の青木辰男さんが、2025年11月9日、旅立たれました。
私たちドリームビアにとって、青木さんは単なる業界の先達というだけではなく、サービス立ち上げの段階から数多くアドバイスをいただき、多大なるお力添えをいただいた恩人です。
青木さんは「日本の家庭に直接おいしいクラフトビールを届けたい」という私たちのパッションに深く共感してくださいました。一方で品質に妥協を許さない青木さんのスタンスは、ドリームビアのコンセプトの根幹をなすものとなっています。
私たちドリームビアの使命は、そのバトンをしっかりと受け継ぎ、さらに先へと繋いでいくことです。ビールが持つ「人と人を繋ぐ力」を信じ、私たちはこれからも全国各地のブルワリーと共に、最高の1杯をお客様にお届けすることに全力を尽くします。

青木さん、
あなたが蒔いた種は
多くの場所で芽吹き、いまも育ち続けています
ビール王国49号から転載
ビアジャーナリスト 野田幾子

東京・両国にある「麦酒倶楽部ポパイ」の創始者・青木辰男さんが、2025年11月9日、73歳で逝去されました。葬儀は、ご実家であり長く住まわれていた新潟・浦佐で執り行われました。雨が上がって晴れ間がのぞき、遠くには色づき始めた紅葉に美しく染まる山々。その光景が、深く印象に残っています。
青木さんの日本のクラフトビール業界に対する功績は、枚挙にいとまがありません。国内産“地ビール”を70種類以上扱う「麦酒倶楽部ポパイ」のマスターとして、また提供する側の立場から、国内のブルワリーと(ときに厳しく)意見を交わしながら、日本のクラフトビールの質の向上に尽力されてきました。
さらに「日本の地ビールを支援する会」を立ち上げ、「ニッポンクラフトビアフェスティバル」や「Beer-1 Grand Prix(ビアワングランプリ)」といったイベントを開催。「ストレンジブルーイング」(現・両国麦酒研究所)を興すなど、自ら醸造の現場にも踏み込まれました。
私は2007年、首都圏のビアバーを紹介するムック『極上のビールを飲もう!』(エンターブレイン刊)の取材で、「麦酒倶楽部ポパイ」を訪れました。当時ですら圧倒的だった、約40種類もの“地ビール”を提供する店。その現場で伺った、ビールを「提供する側」としての責任感の強さが、今も深く心に残っています。
「毎日、開店前のミーティングでスタッフそれぞれが5つのグラスを用意し、個性の異なる五種類のビールを試飲してコンディションをチェックする。ノートに『苦味を強めに感じる』といった味の感想を、温度、湿度、気圧、潮の満ち引きとともに記入する。そんな定点観測を繰り返すことで、その日に勧められるビールを見極める」(『極上のビールを飲もう!』より一部抜粋)
私が言うのもおこがましいのですが、こうした数々の功績と同じくらい尊いのは、クラフトビールへの情熱を人に伝えると同時に、「ビールを愛する人を信用し、想いを託してきたこと」ではないかと思います。現在「麦酒倶楽部ポパイ」の二代目マスターとして活躍する城戸弘隆さんをはじめ、多くの後進を育て上げられた。それこそが、青木さんが遺した大きな宝物ではないでしょうか。僭越ながら私自身も、「アンタ、ビールの講師やってよ」「ビールの香りや味わいを日本語で表現するために力を貸してよ」などと、折に触れて声をかけていただき、ご指導をいただいた一人です。
今でも城戸さんやポパイのスタッフの姿から、青木さんの教えが生き続けていることをはっきりと感じます。青木さんが逝ってしまったことは、やはり寂しく、悲しい。けれどポパイに行けば、その設えや空間のなかに、ふっと青木さんの気配を感じる瞬間があります。そばにいて見守ってくれているような、温かくも不思議な感覚。それはきっと、多くの人が、あの店で抱いている想いなのだと思います。





