【ブルワー魂】長浜浪漫ビール 奥村 太
NAGAHAMA ROMAN BEER
ビール王国41号より転載
連載企画 ブルワー魂
文:並河真吾 写真:津久井耀平
時間は掛かるかも知れませんが、
必ず一人前のブルワーになって
関わる全ての人を幸せにしたいです。
無知の知――。
哲学の父と呼ばれるソクラテスが残した言葉を、「長浜浪漫ビール」のビール製造部長、奥村太さんは心構えとして、大切にしている。
ビール造りは、突き詰めれば突き詰めるほどに奥が深く、貪欲に知識と技術と経験を積み上げていかねばならない。先輩ブルワーたちと交流する機会を得るたびに、自分はまだまだなのだと未熟さを痛感する。
どうすれば少しでも追いつけるだろう。
答えはひとつ。決して慢心せず、無知を自覚し、謙虚な心で学び続けるしかない。
生物が好きで、運動が好き
2023年、冬、滋賀県長浜市――。
奥村さんはこの街に住み始めて、20年ほどになる。「長浜バイオ大学への入学を機に、生まれ育った山口県から越してきました」
幼い頃から生き物が好きで、昆虫図鑑や動物図鑑が愛読書だった。
「学生時代は生物と数学が得意でした。中学生の時は成績もよい方でした。ただ高校では勉強をサボり気味になりました(苦笑)」
ラグビーやサッカーに夢中になったのだ。
生物と同じくらいに体を動かすことが好きなのだという。
長浜バイオ大学では遺伝子や微生物などについて掘り下げて学んでいく予定だった。けれど奥村さんは2回生の時に中退してしまう。
「この学問を活かすための仕事場は、恐らく研究室や実験室になる。体を動かして汗を流すことの好きな自分には、向かないのではないかと思ってしまったのです」
せめて卒業だけでもしておけば──、と止めてくれる友人もいた。しかし将来につなげようとしていない自分のために、親に学費を用立てて貰うことをよしとできなかった。
広がっていく自分の世界
大学を中退しても、友人たちとの仲は良好で、同級生が卒業するまでは、サッカー部のサークルに籍を置くことにした。そのため、自分で生活費を稼ぐ必要があった。
「サッカーを続けながら、自分の将来について考えてみるつもりでした」
そんな折、アルバイト先として友人が誘ってくれたのが、「長浜浪漫ビール」だった。
「配属はレストランでした。当初はまさか自分が将来ブルワーになるとは想像もしていませんでした」
キッチンでの仕事は楽しかった。元々料理が好きだったため、どんどんハマっていった。
「調理技術を磨くとともに、世界の食文化にも目を向け勉強するようになり、それに伴って世界には自分の知らない数多くのビールが存在することも知りました」
特に惹かれたのはベルギービールだった。専門サイトのレビューを読み、興味を持った銘柄を複数購入しては、マッチしそうな料理を自分でつくり、友人たちとテイスティングしてみるという生活を送るようになった。
自分の知識が広がっていく喜びがあった。
感動体験がブルワーを志すきっかけに
ある日、衝撃的な出合いがあった。
「ヘットアンケル醸造所が手掛ける『グーデン・カロルス・キュヴェ・ヴァン ド ケイゼル・ブルー』に、ビールに対する概念を全て覆されたのです。750mlの大きなボトル、10%を越えるハイアルコール、うっとりする芳醇な味わい、長く続く余韻。このようなビールもあるんだ、ビールとはなんと多彩で素晴らしい酒なのかと改めて思いました。そして、自分たちのビール造りに情熱を燃やし続けている長浜浪漫ビールに身を置いていることに、誇りを感じるようになりました」
調理師免許を取得するという、ひとつの目標を達成し、次の目標を何にしようかと考えていた時期でもあった。本格的にビール造りを学んでみたい。そう思い立つと会社に配置異動の要望を出し、了承して貰った。
スタッフが少なかったため、発注・製造・充填・出荷・配達・事務作業など全てに携わることになった。目の回る忙しさだったが、短期間で業務全般を習得することができた。充実した日々。順調だと思っていた。が、ブルワーの道は、そう甘くはなかった。
分からないことの山
体調を理由に急遽上司のヘッドブルワーが退職する運びになった。後を引き継ぐことになって愕然とした。
「現場作業はひと通り覚えていました。それで、自分はやれている気になっていたのです。いざひとりでビールを造るとなった時、実は何もできないことに気付きました」
ブルワーは、何をどうすればどのような味わいを得られ、品質を維持できるのかなど、作業一つひとつの意味や理由を深く理解し、あらゆる状況下で臨機応変に対応できる能力が求められる。何もかもが足りていないことを自覚した。奥村さんの猛勉強が始まった。
「分からないことにぶつかっては調べる」の繰り返し。分からないことを分からないまま放置しないと決めていた。時間は幾らあっても足りなかった。本当に必死だった。
手を差し伸べてくれたのは、イベント等でつながった先輩ブルワーたちだった。
先輩たちの背中を追いかけて
何社も工場見学を受け入れてくれた。仕込みに参加させてくれた。原料や醸造や設備等に関する勉強会に招いてくれた。 毎年暮れになると忘年会と称して鍋を囲んでの学びの場をつくってくれた。自分のビールを何本も持参し、忌憚のない意見に耳を傾け、アドバイスを受けた。鍋をつつく箸よりも、メモを取るペンを動かし続けた。感謝しかなかった。奥村さんが兄や姉のように慕っている「牛久醸造場」の角井智行さんや「道頓堀麦酒」の忽(くつ)那(な)智世さんは言う。「素直で勉強熱心な人。アドバイスと真摯に向き合い、長浜浪漫ビールの設備で可能な方法に落とし込み、そこで得られた知見を丁寧に報告してくれます。私たちも学ぶことがあります」。
無我夢中の数年が過ぎて、気が付けば奥村さんは実力派ブルワーに数えられ、周りに刺激を与える存在になっていた。
「有難いことにビールコンテストでも賞をいただけるようになりました。でも自分はまだまだ。先輩たちの背中は遠いです」
ブルワーとして生きて行きたい
長浜浪漫ビールの定番銘柄は、食事と合わせやすいクラシックな「ペールエール」「ピルスナー」「ヴァイツェン」の3つ。創業当初に作成したレシピをベースに、よりおいしくなるよう小さな改善を繰り返している。IPA やセゾン、ゴーゼ、スタウト、ハイアルコール、バレルエイジなど、限定醸造ビールも積極的に手掛け、「シチュエーションや体調に合わせて選択いただけるような、クラフトビールならではの多様性の魅力もお伝えできるブルワリーを目指しています」
ブルワーを志してから15年が経つ。
体力がなければ務まらない(体を動かし続けねばならない)、酵母という生き物相手のハードな仕事。計算や分析の能力も欠かせない。
まさに自分にとっての天職だった。頭をフル回転しながら汗を流す毎日が楽しくて仕方がない。いつしか、一生ブルワーとして生きて行きたいと考えるようになった。
「早く一人前になって、もっともっと飲み手を増やし、地域にも貢献できるようになりたいです。関わる全ての人をビールで幸せにすることが夢。全力で学び続けます」