【ブルワー魂】 くめざくら 大山ブルワリー 岩田秀樹
KUMEZAKURA Daisen Brewery


「ビール王国22号」から一部抜粋して転載
文:並河真吾 写真:柴田博司

豊かな自然の恵みに感謝しながら思い入れたっぷりのビールを造っています。大山の魅力を感じて貰えたら幸せです。

大山でしかできないビール造りを
2019年2月、鳥取県西伯郡伯耆町――。「大山Gビール」の取材は、工場内ではなく、醸造責任者・岩田秀樹さんの車に乗り込むことから始まった。
「何はともあれ、まずはお連れしたい場所があります。私たちが何を大切にしてビール造りに取り組んでいるのか、ご理解いただくのに一番よい方法だと思いますので」
こんな取材の始まり方で、驚かせてしまったでしょうか? と悪戯っ子のように笑うと、岩田さんは西の方角を指差した。目を向けると、富士山のような堂々たる山容から『伯耆富士』の異名を持つ大山の姿があった。その神々しい美しさに思わず息を呑む。「幼い頃からあの山を見て育ちました。そして20数年にわたり、その麓でビールを造り続けています。有難い大山の恩恵を受けながら――。私はそこに大きな意味を感じるのです。地ビールとは、クラフトビールとは何か――。私は、この地でしか造れない、たくさんの方に親しんでいただける『おらが町のビール』を造りたい」

豊かな自然に恵まれて
車で数分、最初に降りたったのは「地蔵滝の泉」だった。大山の雪解け水が数百年ろ過されここに湧き出ているとのこと。「この超軟水のおいしい水なくして、私たちのビールは成立しません。もっと言えば、大山の空気や緑までもが味わいに影響していると考えています」
次に見せて貰ったのは麦畑だった。その昔、鳥取県で開発されるも途絶えてしまった「ダイセンゴールド(二条大麦)」の栽培を、岩田さんが15年前に地元の農家さんたちと復活させた、思い入れたっぷりの畑。「今は麦踏み(根張りをよくするため芽を足で踏むこと)の時期なので構わず中に入ってください。土が黒いでしょう。黒ボクと呼ばれる火山灰からできた土で、これも大山の恵み。植物の栽培に非常に適しているのです」

ビールで季節を表現したい
麦の栽培を始めたのは、大山らしい味わいの追求と、原料について深く知りたかったからと岩田さん。さらに、「ビールで季節も表現したい」と考えるようになったのは、ブルワリーに入った一本の電話がきっかけだった。『そろそろあの麦のビールが出る季節ですよね?
あれ、おいしいですよね――』「お客様は私たちのビールで、季節の移ろいまで感じてくださっている。私にとって大きな気付きでした。期待のこもった言葉が嬉しく、俄然やる気になったことを覚えています」 年間を通じてお客様に「季節の楽しみ」をお届けしたい。そう思い立つと持ち前のバイタリティを発揮した。畑で育てた大麦を使って仕込む夏の「大山ゴールド」に加え、春はファンと一緒に酒米を造って仕込む「八郷」を、秋は農薬を使わず手塩にかけて育てたホップで仕込む「ヴァイエンホップ」をリリースすることに。「毎年楽しみに待ってくださっているお客様のことを思うと、農作業中も幸せな気持ちになります」

迷わずブルワーの道を選んだ学生時代
「大山で地ビール会社を立ち上げるにあたり、久米桜酒造がスタッフを募集している。条件は二つ、元気でビールが好きな奴「はいっ!」
島根大学の農学部で微生物について学び、酵母の研究者として酒蔵に就職する予定だった岩田さんは、勢いよく手を挙げたという。「お前、日本酒志望じゃなかったのか?」と研究室の教授。「僕はビールの方が好きです!」と岩田さん。面接を受けると、即、採用となった。1996年のことだ。 就職が決まると卒業を待たず、大手ビール会社で醸造を学ぶための研修を受けた。ブルワリーが出来上がっていく様子も目の当たりにした。工事現場で図面を広げられ、「ここがお前のデスクになる」と言われた時の喜びは忘れられない。急遽進路を変えたが、微塵も迷いはなかった。「今でもこの道を選んでよかったと、教授に感謝しています」

がむしゃらな時代が今を支える
「大山Gビール」造りは、同じ大学の研究室を出た先輩後輩2名で始まった。大手ビール会社から指導に来てくれた先生は、厳しくて恐かったと懐かしそうに目を細める。「毎日夜遅くまでがむしゃらに働きました。ようやく仕事が終わると、へとへとの私たちに先生が言うのです。『今日学んだことをしっかり復習し、明日の予習もしておくように』と(笑)。もう必死でした。先生にビール造りの基本を叩き込んでいただいたからこそ、今の自分があるのは間違いありません」ずっと目標にしている人がいる。この頃一緒に汗を流した先輩だ。分からないことだらけの日々。一緒に考え、悩み、調べ、話し合い、切磋琢磨した。「何をやっても叶いませんでした。先輩は日本酒造りに興味を持ち、数年で隣の酒蔵に移りましたが、今でも先輩だったらもっといいビールを造るぞと、自分の未熟を叱り、鼓舞することがあります」

ビールはひとりで造れないはずなのに
2010年代――。「大山Gビール」は、全国に多くのファンを持つまでに成長していた。2011年、世界的ビア・コンペティション「World Beer Awards」でヴァイツェンが部門世界一を受賞すると、岩田さんは日本を代表するブルワーの一人に数えられるようになった。ますますビール造りの探求にのめり込む一方、ファンとの交流やイベントへの参加などブルワリーの顔としての役割にも全力を尽くした。 そんな状況の中、いつしかその責任感の強さから、「すべて自分がやらなきゃ」という気持ちになっていたという。「もしも彼らと出会わなかったら、ブルワリーの成長は止まっていたかも知れません」

刺激し合える最高の仲間たち
将来の夢を明確に持つ、その新人たちは実にアグレッシブだった。「新しい醸造設備の導入に取り掛かっていた時期の入社組で、造りや原料や機械について嵐のように質問してくるのです。尋ねる内容も日に日に高度になっていく。やがて一緒になって様々な調べものをするようになり、気が付けば深夜という日々が何ヵ月も続いていました」
ぐんぐん成長し頼もしくなっていく、どこか若き日の岩田さんを思い起こさせるスタッフたち。共に過ごした濃密な時間は、「この仲間たちと一緒に前に進んで行きたい」という気持ちを芽生えさせた。「ひとりではビールは造れません。当たり前のことを見失いかけていました。私は今、この最高のメンバーたちからとてもよい刺激を貰っています。そして共に成長していきたいと心から思っています」

ビールのイメージは、優しい「白」
どんなビアスタイルでも、手掛ける際に必ず「白」をイメージするという。岩田さんにとってのビールの色は、大山の雪と放牧される牛たちのミルクの色、つまり白なのだ。「例えIPAであっても白を思い浮かべ、どこかミルクのような優しさを感じさせる味わいを目指しています。私たちらしいビールをたくさんご用意しています。機会があればぜひ大山を満喫しに足を運んでいただけると嬉しいです」__

DREAMBEERで飲める大山Gビールはこちら
https://dreambeer.jp/ec/beer/detail/197